開志国際の富樫英樹コーチが語るバスケ愛と選手育成(前編)「勇樹は他の子とは全然違っていました」 - バスケットカウント

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富樫英樹

「田舎ですから」と駅まで迎えに来てくれた富樫英樹コーチは、車に乗ったところからしゃべりっぱなしだった。学校のこと、バスケ部のこと、息子である富樫勇樹(千葉ジェッツ)のこと、新型コロナウイルスの影響、新潟県のバスケ事情、日本バスケ界のこれからと話題は尽きず、録音を始める前から面白い話がたくさん出てきた。4つの中学校で26年間指導して全国優勝2回、開志国際の創設とともに高校へと活躍の場を移して5年目の2018年にインターハイ制覇。富樫コーチは大好きなバスケットに打ち込みながら選手を育て、人を育てている。

「全国優勝を目標にして、それに向かって突き進んだ」

──まずは富樫先生の自己紹介からお願いします。

1962年生まれで58歳になります。新潟県の生まれで地元の県立高校を出て、日体大を卒業して教員になりました。4つの中学校で26年、51歳の年に開志国際ができるということで高校に移り、新たな目標に向かってスタートしました。

──もともと教員になってバスケットボールを教えたいという考えがあったのですか?

バスケットが先で、教員は後です(笑)。バスケットボールを見たい、教えたい、携わっていたい、というのが一番です。日体大に入ったら3軍で、人数が多かったこともあるし下手でした。そこからはもう指導者でやるという思いでした。私はバスケットボールを死ぬまでやっていたかった。そのためには職業は教員だった、という感じですね。

最初に採用されたのは長岡の江陽中で、女子部でした。ミニバスがほとんどない地域の女子チームを最初に持たせてもらったのが私の原点です。男子のバスケットしか知らない私は、そこでも日体大の練習をさせていたのですが、練習を見に来た先輩に「お前、何をやっているんだ」と言われたんです。結局、何のためにこの練習をやっているのか私は答えられませんでした。

そこから女子のバスケを勉強するようになって、「これだ!」と思ったのが中村和雄先生の率いる共同石油(現在のENEOSサンフラワーズ)でした。印象が強すぎて、私は3年目からユニフォームの色を共同石油と同じグリーンに変えました。当時の新潟県ではグリーンのユニフォームなんてどこも使っていませんでした。それほどあこがれました。

──中村先生との出会いは面白いエピソードだと聞いています。

私にとっては怖いエピソードですよ(笑)。大学を出た後も、仲間たちと毎年インカレを見に行っていました。その時に紹介をいただいて、中村先生にお会いできるチャンスがあったんです。仲間たちと一緒にいろんなことを教えてもらって、興奮しすぎてインカレを見ないまま帰ってきました。それぐらい、中村先生の言葉に興奮したんです。

中村先生に言われたのは「日本一を目指せ」です。新潟の田舎なので、みんな県大会に優勝して全国大会に出場することが目標なんです。それじゃダメだと。我々は新潟から来た何も実績のない指導者で、恐る恐る中村先生のところに出向いたのですが、帰って来る時には「日本一を目指すぞ!」と。それから新潟にクリニックに来ていただくようになりました。

私だけじゃなく、新潟県のバスケットが変わりました。私が指導者になって日本一になるまで20年弱かかりましたが、中村先生に出会って3年で、全中では同県決勝があって全中優勝と準優勝です。「日本一以外に目標はない」と教えてもらってから3年で優勝できたんです。意識が変わるというのはすごいことです。

私も全中で優勝するまでに時間はかかりましたが、その前に準優勝や3位は何度かあります。それも全国優勝を目標にして、それに向かって突き進んでいったから実現できたことです。それがなかったら勝てません。中村先生と出会って、新潟県のバスケは全国で勝てるようになったんです。

今でもお元気で指導されていますが、エネルギーがもらえます。27年のお付き合いになりますが、よく見捨てずに私たちを育ててくれて、加えて私の場合は息子まで育てていただいています。本当に感謝しかありません。

富樫英樹

親として「応援はしますが、あくまで陰で応援します」

──息子さんの富樫勇樹選手は日本を代表するポイントガードに成長しました。富樫選手を擁したチームで全中で優勝したのが2008年。この頃から、今の活躍ぶりは想像できていましたか?

今はこうなったから堂々と言えますが(笑)、小学校に入る前から他の子とは全然違っていました。私も素人じゃないので、自分の子がどれぐらいかは分かります。小学校1年でミニバスに入れた時から違ったのですが、小4の時に日本でも一流の選手だと確信を持つようになりました。

私は中学の指導があるので普段は見ていなかったのですが、たまたま自分たちの住んでいる近くでミニバスの大会があって、練習が終わってからでも間に合ったんです。それで見に行ったら、県のトップのチームと対戦しているのに、小6の選手とも互角以上に戦っていたので、さすがにビックリしました。

──中学に進んで、お父さんが監督で息子が選手の『親子鷹』になります。息子を使う難しさはありませんでしたか?

1年生からレギュラーでしたが、誰も文句は言いませんでした。むしろ150cmしかない選手を誰もが頼っている状態でしたから、そういう意味での苦労は3年間ありませんでした。他の選手と同じように接しましたが、それも私にとっては普通のことです。ただ勇樹は私のことを怖いと思わないので、監督の私がどんなに怒ってもふてくされてましたね。それを見た校長から「お前より上手だわ」と言われたことがあります(笑)。

──富樫選手は中学卒業と同時にアメリカへ渡りました。ここは親として、指導者として悩むところはありましたか?

中村和雄先生が前々から「アメリカへやったらどうだ」と勧めてくれていて、私は大賛成でした。本人は全中で優勝した後に、アメリカに行くかどうか真剣に考えたようです。167cmしかありませんから、普通は何しに行くんだという感じでしょうが、そこは中村先生の見る目がすごいです。

──今はバスケをやっている子の親が「ウチの子をプロ選手に」と熱くなるケースが増えていそうです。

それは絶対に失敗するパターンですよ。『親』は木の上に立って見ると書く通り、口を出さずに見守るしかないんです。ウチも3人バスケットをやっていましたが、やっぱり娘たちは家でチームやコーチのことを愚痴ったりすることがありました。「お父さん、どう思う?」と言われたこともありますが、指導者と逆のことは言わないです。応援はしますが、あくまで陰で応援します。

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