なぜ人はこんなにもトイレットペーパーに血眼になるのか|オオカミ少女に気をつけろ!|泉美木蘭 - gentosha.jp

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(写真:iStock.com/serezniy)

そろそろトイレットペーパー騒ぎも収束となるだろうか。

2週間前、我が家のトイレは最後の1ロールとなり、しかしスーパーの売り場はすっからかんで、ちょっと不安になった。子供の頃、母親から「もし学校帰りにうんちしたくなったら、この葉っぱを使うんだ!」とお尻のかぶれない野草を教えられていたので、「いざとなったら葉っぱだな」と思いながら自宅の観葉植物に黙々と水を与えていたのだが、友人が分けてくれたので助かった。

政府やメーカーが「トイレットペーパーがなくなるというのはデマ」「99%国内生産で中国は関係ない」「在庫は十分にある」と発表してもなかなか騒ぎは収まらず、大手ショッピングセンターが売り場に大量陳列して「お一人様10点まで!」とアピールしてみせた頃から徐々に中和されてきたように感じるが、この原稿を書いている3月12日現在、人口密集地である私の生活圏のスーパー、ドラッグストアではいまだに午前中で売り切れてしまうようだ。

トイレットペーパー・パニックが起きているのは、日本だけではない。アメリカ、イギリス、インドネシア、香港、台湾、シンガポールなど世界各地でいっせいにトイレットペーパーの棚が空になり、オーストラリアの公共放送ABCのウェブサイトでは、シドニーのスーパーで女性同士がつかみ合いの激しい乱闘をくり広げる映像が紹介された。

買い占めまくる女性から1パックを奪い取り、掴み合いになったらしい。(2020年3月7日ABCオーストラリア放送協会配信)

現実にはトイレットペーパーの不足は起きないし、各国政府当局が「在庫はある」と呼び掛けており、生命維持に関わる品物でもないのだが、なぜこんなにも人々はトイレットペーパーに血まなこになるのだろう? その心理について考えてみたい。

パニックとは「我れ先に」の競争心

そもそもパニックとはどういう状態なのか。

意識することは少ないが、日常、人は大きな集団のなかに抱かれて生活している。そこでなにか事件が起きたとき、それまでの協力や秩序が一瞬のうちに崩壊して、それぞれがてんでんばらばらな個体となり、我先にと競争しあう群れとなるのが「パニック」だ。

 

さらに「あれをゲットせよ」「出口に向かえ」などの「ゴール」が示されていると、不安とともに「自分だけが乗り遅れるのではないか?」という競争心がかきたてられて、ばらばらの個体が一目散にそのゴールに向かって押し寄せる「群衆」となる。トイレットペーパー・パニックはまさに群衆の競争心だ。

人間は、「群衆」になる時と「公衆」になる時がある。ばらばらの個体になって、衝動的に一目散にゴールめがけて走り出すと「群衆」になるが、特に日本人は、非常事態において全体の状況を理解して理性的に秩序を守る「公衆」になる性質も持ち合わせているように思う。

災害が起きた場合など、逃げ惑う際には「群衆」としてふるまったとしても、避難所ではお互いに協力しようという気持ちを持ち、整然と並んでマナーを守る。公式発表があればみんな静かに聞こうという姿勢をとったりもする。これが「公衆」としてのふるまいだ。

(写真:iStock.com/Shironosov)

ここには、「私的な不安」や焦りの感情に終始するか、意識を公的な感覚に切り替えるかの違いがあると思う。まわりと状況が共有できないと、「自分だけが取り残されてしまうのでは?」という目隠しされたような不安に陥り、その感情を解消することだけを目指してやみくもに行動してしまうものだ。

しかし、まわりと状況を共有すると、「みんな同じ大変な状態なんだな。自分勝手に考えていたらいけないな」という風に、それぞれが少しずつ私的感情を抑えるようになる。そして、「みんな不安なんですよね、落ち着かないとだめですね」という風に公的な感覚で協力しはじめるのではないだろうか。

今回のトイレットペーパー・パニックでは、「自分だけトイレットペーパーを手に入れられないのではないか」という「私的な不安」の感情と、「何としてもトイレットペーパーを買うことがゴールだ!」という強烈な競争心に目をくらまされてしまい、私的な感情に終始して、意識が公的な協力へと向かわないままの「群衆」が生まれたように見える。マナーもなにもなく、店員に詰め寄ったり、開店とともにみずから段ボールをむしって奪い合うような光景もあったらしい。

小さな「群衆」が生まれはじめるとやっかい

パニックの発端は「品薄になる」というデマに騙されて私的な不安を煽られ、一目散に「買う」というゴールに向かって走り出した人々からスタートしているのだが、デマを否定する報道が出ても一向に収まらなかった理由のひとつに、「みんながやっていること」に釣られて、同調してしまうという心理があるだろう。

この場合の「みんな」とは、不安いっぱいになってしまった自分と同様、私的な不安」の解消のために競争心をむき出しにした「群衆」のことだ。人は、群衆の感情に吸い込まれると、個人の判断をどんどん見失ってしまうことがある。

(写真:iStock.com/adogslifephoto)

買い占めパニックのようなことは、なにも今回のような事態に限らず、日々小規模に起きていることだ。たとえば、平常時でも、通りすがりのドラッグストアなどに大行列ができていると、なにごとかと気になる。「何の行列ですか?」と聞いたり、店から出てくる買い物客の手元を凝視したりして、人々が何を手に入れているのかを確認したくなる人も少なくないと思う。

それが、ある日用品や消耗品を求める行列だとわかると「そんなに不足しているのか?」と不安を感じたり、あるいは「手に入れておかないと損するのでは?」と、「群衆の競争心」が首をもたげたりして、その瞬間まで意識すらしたことのない自宅の在庫に思いを馳せ、「うちは足りるだろうか?」「いま買っておいたほうがいいのでは?」と考え、列に加わってしまう。

その欲しいものは本当に“あなたが”欲しいもの?」でも紹介したように、欲望とは、自分の独立した判断で「これが欲しい」と決めている場合よりも、「人が欲しがっている」という事実に動機を呼び覚まされている場合のほうが案外多いのだ。

こういう「みんな買っているから、いま買っておいたほうがいいのでは?」という同調に吸い込まれた人が100人、500人、1000人と集まれば、群衆と化して膨張していく。そしてそれを見た人が、また「買っておかねば」という「群衆」の心理に集団感染していくのだ。

もちろん本当に必要で買いたい人もいるのだが、人間には、自分の判断よりも、「群衆」の判断に身をゆだねて行動してしまうことが、いつだって起きうるのである。

エスカレートする「群衆」内の競争

「群衆」の判断に吸い込まれて自分を見失った人は、「買っておかねば」という心理に突き動かされることになるが、本人の頭のなかはこんな具合だ。

「落ち着いて行動しろとは言うけれど、そう言われて “みんな” が落ち着くとは思えない。だって自分はこんなにもトイレットペーパーが買いたくて不安でたまらず、落ち着いていないんだから。“みんな” 絶対に明日も必死で並ぶはず。だったら自分だけ落ち着いていたら、いつまでも買いそびれてしまうだけだ。並ばないわけにはいかない」

だから「買いそびれることはありませんから」と声が掛けられているのだが、一度「買っておかねば」という「群衆」の判断をとった人は、他人もまた自分と同じように考えて行動するに違いないと「群衆的に」考える。

そして、現在の非常事態の環境においては、自分の判断こそが正しく、自衛のためにもこうするのが最適なのだと、自分の行動を正当化してしまうのである。

行動することで不安を解消したい、という個人の欲求もある

寒い時にやたらと「寒い寒い!」と言ってしまうように、不安な状態に置かれたとき、「不安だ!」「ああ、どうしたらいいんだ!」「不安だ不安だ!」という具合に、不安を表明し、感情を思いっきり吐露してバタバタすることによって、自分自身が抱えている不安を癒そうとする心理がはたらくことがある。そして買物依存症ではないが、なんでもいいから行動に移し、抱えた不安を解消したい、という欲求も生まれてきたりもする。トイレットペーパーの買いだめ行動の底にも、この心理が潜んでいるのではないかと思う。

(写真:iStock.com/mokee81)

もともと、ウイルス感染者がじわじわと増えているという潜在的な不安に浸っているなか、日々「不安だ」「困った」と周囲の人々が感情を漏らしている。ワイドショーは必死に情報を伝えようとし、速報が入るなど混乱気味で、行列する人々の姿を何度も放送したりする。

すると耐えられなくなって、堰を切ったように不安感情が爆発し、「これはいかん!」とトイレットペーパーを買いに走り、あたふたするという行動を起こす。必死の購買行動、それ自体がその人の不安の表現になっている部分があるわけだ。

抱える不安の表現としての購買なら、「在庫は十分にあります」と公式発表されても効果はない。どんなに買っても現在進行形の不安は癒されないだろうし、買い占めの対象はトイレットペーパーでなくても良いのかもしれない。事実、「足りているのにどうしてこんなに買っちゃったんだろう」と思う人もいるだろう。

パニックにはテキスト情報よりも、事実のビジュアル化が有効なのでは

一度デマが出回ってパニックが起きると、それを打ち消そうとすることで逆効果になる場合がある。

「在庫は十分にあります」と政府が発表しても、目の前に実際に存在していなければ、「本当か?」と疑いはじめるし、逆に、スーパーなどの販売の現場では「本日は入荷はありません」と言っているのに「本当か? 倉庫にあるんじゃないのか?」と従業員が詰め寄られたというケースが頻発している。

「群衆」の心理に囚われている人に対しては、基本的に “公式の” “言葉だけの” 情報発表は無力なのだ。

ではどうするか。こうなった場合は、情報よりも事実のビジュアル化で立ち向かうしかない。「こんなにあります!」とか、「ほら空っぽです!」といった具合に、現実を見せて納得させるしかないのだ。

かと言って、大手ショッピングセンターがやったように、トイレットペーパーを大量陳列して「お一人様10個まで」とアピールするようなやり方は、どこにでもやれることではない。だがやはりどの店においても、どんどん店頭に積んで見せることでしか抑えられないところがあるだろう。

情報は少なすぎても多すぎても不安になる

「情報」というものも、どれだけあれば人々を落ち着かせることができるのかと考えると、解は見つからないものだ。そもそも現代のような情報化社会そのものが、不安を作り出している部分もある。

テレビやネットで世界や日本各地の状況をすぐに知ることができる。中国、韓国、アメリカ、イタリア、イランの感染情報があまりにもすごい速さでどんどん入って来る。それがいま、人々の不安を増幅していっている状況だ

(写真:iStock.com/takasuu)

また、SNSには各地のスーパーの商品棚の写真が投稿されている。それを見ると、自分の通うスーパーはどうなのかが気になってしまう。情報は大量にあっても、自分の生活に直接必要なものはそう見つからないものだ。

世界中の情報が続々と入ってくる社会と、すべてネットで把握できるという個人の錯覚が、新たな不安を生んでいる。

今回特に気になるのは、一部ワイドショーの報じ方だ。メディアは広く事実を伝えなければならないし、私は自民党公報の回し者でもないが、あまりに過剰に「一番弱くて不安に駆られている立場の視聴者」の視点を代弁したり、必死の空気を作ったりすると、その報道そのものが「不安の表現」になってしまう。それは平時なら「またテレビが大げさなことを言って……」と煎餅でもぼりぼり齧りながらテレビを観ていられるが、緊急時には人々の潜在的な不安を喚起して、パニックを誘発してしまうから危険だ。平時でよく見る、どうでもいいことの煽り芸は、この際、テレビは見直してほしい。

人は簡単に群衆の心理に吸い込まれてしまうことがあるし、それを誘発する情報にあふれて溺れかけてもいる。踊らされてパニックになった人々を笑うことは簡単なのだが、報道する側が人間のサガと社会の構造について考えてみる機会にするのもよいと思う。

そして「群衆」に巻き込まれなかったほうの人たちは、世の中を公共心で眺めながら待つことができている自分の態度こそが、大人のふるまいなんだと考えよう。「群衆」になった人を「やめなさい!」と制止したって、聞く耳を持たないか、刺激して逆効果になるばかりだ。トイレットペーパーは必ずそのうち手に入る! これが確かな真実なのだ。

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March 14, 2020 at 04:00AM
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