医学の進歩は幸せなのか――医療と社会の未来をブラックユーモアたっぷりに描く7篇『黒医』 | 「レビュー(本・小説)」 - カドブン

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文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:吉村 萬壱 / 作家)

 昔、私には、ある出版社の仕事でベストセラー小説を狙って頑張っていた時期があった。ターゲットは、圧倒的多数の高齢者層だった。高齢者が喜ぶ小説を書けば絶対にベストセラーになると踏んで一年ほどかかりきりになったのだが、結局せつした。理由は、いくら高齢者が喜ぶような美しい老人小説を書こうとしても、自然に老人の醜悪さばかり書いてしまうという私の性癖にあった。すなわち、私も次のような感覚の持ち主だったということである。

「甘っちょろいドラマには虫酸が走る。温かい家庭、優しい家族、そんなものはあり得ない」(「老人の愉しみ」)

 書いては失敗を繰り返していたある日、老人小説の参考になるかもしれないと思って一冊の本を読んでしまったことで、私のベストセラーへの試みは決定的に終わりを告げた。

 それが、さかよう氏のデビュー作『廃用身』であった。

 老人たちのした身体(廃用身)を切除することで負担が軽くなり、その後の生活が格段に楽になるという医療的処置を行う医者の成功と転落の物語で、一読、そのノンフィクションかとまがう圧倒的な説得力に鳥肌が立った。そこに甘さはみじんもなかった。私は、高齢者が喜ぶような美しい老人小説など書いていられるかという気になり、結局担当編集者とやけ酒を飲んでベストセラー企画はとんしたのであった。

 それ以来、打ちのめされたという意識から、私は書店や新聞広告などで久坂部羊氏の名前を目にするたびに、医者であるこの作家にはとてもかなわないと、慎重に彼の著作を避けてきた。私もどちらかというと氏と同じ方向性(即ち世の中のれい事の虚飾を暴きたくてしょうがないという方向性)を持った書き手なので、よけいに意識してしまったのである。どの分野でも同じだと思うが、やば過ぎて遠ざけずにおれない同業者の存在というものがあるものだ。

 しかし今年、あさまかて氏のりようろう賞受賞パーティーに出席した際に、私は会場に久坂部羊氏の姿を見つけてしまった。その瞬間、あいさつしたいという衝動を抑えることができなくなった。お会いして話をしてみると、久坂部羊氏は実に紳士であった。舞い上がっていて余りよく覚えていないのだが、私はその時、ある程度正直に『廃用身』に打ちのめされたことを告白したと思う。するとその後久坂部羊氏とメールでつながり、今回の文庫解説の依頼に至ったというわけである。



 解説などおそれ多いのだが、私は『こく』を読んで久坂部羊氏の非情なる筆が健在であることに狂喜した。医療という最もフィジカルで、幻想を一切受け付けない、言ってみれば身もふたもない技術に立脚した氏の作品には独特のオーラがある。たとえば次のような一文に接すると、私は嬉しくて小躍りしたくなるのである。

「美人は見栄を張って、トイレを我慢するから、しょっちゅう膀胱炎を繰り返すんだ」(「老人の愉しみ」)

 たったこれだけの台詞せりふだが、取り澄ました女の化けの皮を一撃でぎ取る鋭いメスのような一文ではないか。

 女性に関する小説の圧巻は、何と言っても「のぞき穴」であろう。私は、初めてストリップ劇場に行った高校時代を思い出さざるを得なかった。女性器とはペニスの欠落したものであり、無か、せいぜい穴か筋のようなものに過ぎないと思っていた私は、目の前のストリッパーの、使い込まれて真っ黒に盛り上がった年季の入ったそれを見て思わず心の中で「違う!」と叫んだものである。しかし我々男は生涯にわたって、どこまでも自分をだましながら美しい女性器に執着し続けるという哀しいさがから逃れられない生き物でもある。

「男性が女性器に惹かれ続ける理由は、男性が女性器を見ても観ていないからだ」(「のぞき穴」)

 いけがやゆう『進化しすぎた脳』によると、我々が外界から得る視覚情報の内、脳の視覚野に達するのはその三パーセントに過ぎないと言う。つまり残りの九十七パーセントは、外部情報ではなく脳の内部情報であり、すなわち脳の思い込みらしいのだ。だとすれば、男たちの頭の中にある女性器などはさしずめ、ほぼ完全な脳内ねつぞう物と言っていいかもしれない。

「興味本位で見るときは、人間は見たいものしか見ないものだ」(「のぞき穴」)

 そしてこの小説の恐ろしいところは、見たいものとは、人間が欲望するありとあらゆるものに及ぶと気付かされるラストにある。我々は何事につけ見たいものしか見ず、見たくないものは見ていないのではないか。原発事故の汚染水はいつの間にか処理水と言い換えられ、不都合な公文書はかいざんされ、自衛隊の日報は消えてしまうような世界に我々は生きている。真実は簡単に書き換えられてしまうのである。

「無脳児はバラ色の夢を見るか?」では、出生前診断でロート症と分かった胎児の声を母親が聞くシーンがある。「うま・れ・たく・ない・の」「ちゅー・ぜつ・して」という胎児の言葉。この、聞きたい声が都合よく聞こえてくる世界とは、もちろん我々の住む世界そのものである。好きな言葉に「いいね」して、嫌な言葉をブロックすることで成り立つSNS世界はその典型であろう。そしてその先に待ち受ける真っ暗闇の展開まで、この作品は容赦なく描き切っている。

『黒医』全体を貫いているのは、この世界から綺麗事を剝ぎ取った後の、徹底したリアリズムである。いじめによる自殺が起きると決まって全校集会が開かれ、校長が判で押したように口にする「命の重さ」「命の大切さ」という言葉。人一人の命の重さは万人の命の重さと釣り合うなどと言われるが、現実にそうなっていないことは誰もが知っている。

「命の重さ。それはみんなの安全が保証され、もめ事やスキャンダルがないときにしか意識されない。だれの口先にも上るけれど、所詮、ただの言葉にすぎない」(「命の重さ」)

 たとえば戦時下においては、人の命は虫ケラ以下の扱いを受ける。そして現代社会が一種の戦場であるとするならば、年間二万人が自殺するような状況下で命の重さとは一体何なのだろうか。

 ハッピーエンド小説や心洗われる泣ける小説もよいが、ひんしゆくを買ってでも本当の事を書くのが文学の役割と心得る私のようなひねくれ者にとっては、久坂部羊氏のような仕事こそまさに文学そのものだという思いを禁じ得ない。

 私は基本的に何も信じないようにしている。「愛」や「きずな」や「友情」や「信頼」や「世界平和」といった、マスコミや映画やドラマでこれでもかと繰り返されるものほど信じられない。人は、実際には存在しないものほど声高に連呼するものではなかろうか。人間が命を選別する優生思想はすでに現実のものとなっている気がする。金のない者は高度な医療を受けられない。平等社会の幻想、家族愛の幻想。本当に本音で生きるならば、誰もが「老人の愉しみ」のような結果に至らざるを得ないと言えようか。

 我々はないものをあるものとして、あり得ない善人を演じることで何とか自他をごまかしながら社会生活を送っており、一皮めくれば必ず悲劇が顔を出す。

「社会は幻想だ。みんな中身のない殻だけのタマゴを温めているニワトリのようなもんさ」(「不義の子」)

 そのような現実を、ブラックなユーモアをまじえた作者独特の冷徹さで描き切った本書は、一読、私が愛してやまないシオランの次の言葉を思い出させる。

「心に何の痛みもないような連中が、安らかに生き安らかに死んでゆくことを何がどうあろうと邪魔してやらねばならぬ」(シオラン『存在の誘惑』)

 久坂部羊氏は、常識に安住して居眠りを決め込んでいる古代アテネの市民を揺さぶり起こし、非難することをやめなかったソクラテスさながら、どんな悪政にも慣れてしまい、勝手な幻想にウトウトする我々をチクリと刺す一匹のアブである。

 しかしまた我々は、『黒医』を読んで「痛っ」と表情をゆがめると同時に、あたかも足裏マッサージのように「痛気持ちいい」と感じ、あっという間にこれに慣れ親しみ、たのしんでしまうしぶとさを持つヌエ的存在でもあるだろう。

 従って久坂部羊氏の闘いは、いつ終わるとも知れず延々と続くのである。

 一読者としての本音を言えば、私はそれが嬉しくて仕方がない。

久坂部羊黒医』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321905000409/


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