私の分岐点となったある親子との出会い 医師が自分を知ることの大切さ - GLOBE+

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前回、患者がより主体的に自分の医療に関わっていくためには医療者の良好なコミュニケーションが欠かせないというお話をしました。今回はその続編として、医療者が自分自身を知ることの重要性についてのお話です。

第9回でお話ししたように、「自分」を見る視点というのは、「部分」「全体」を見る視点に加えて、GP(家庭医)が重要としているものの一つでもあります。

ここでも、私がGPとして専門研修をしていた時のお話をさせてください。

前回と同様、診療科別に特化したサービスを提供する病院ではなく、診療所というかかりつけの役を担う医療機関で働いていた際のことです。研修の一環として、自分の担当した診療について指導医とともに振り返る時間があるのですが、その時のお話です。

私の外来に5~6歳の男の子が20代前半の母親に連れられて受診してきました。母親は椅子に座るなり、気だるそうに携帯をいじりだしました。私が質問をしてもこちらを殆ど見ることなく、そっけない相槌のみで、男の子はその傍らでゼーゼーしているのです。体調が明らかに良くない子供と、それに無関心そうに見える母親を見て、正直、私は母親に良い印象を持てませんでした。そして、そのネガティブな感情が邪魔をしてしまい、その後、彼女の話を上手く聞くことができませんでした。

この経験から、これを上手く行かなかった事例として、その後指導医に相談することにしたのです。以下はその時の会話です。

指導医:そうかそうか、そこでよく思わなかったわけか。

:はい。正直。すみません...。

指導医:いや、わかるよ。人間なんだから、誰だってネガティブな感情を持つことはある。でも、なぜそう感じたんだろう。携帯いじりながらとか、そっけない態度とか、原因はいくつもありそうだけど。

:う~ん、なぜでしょう...。確かに関係あるかもしれません。でも、私は今まで同じような行動を取る患者さんに何度も出会ったことはありますが、こんな感情は持ちませんでした。その時はとにかく、左には病気の子供、右には無関心な母親、そこにあるまじきギャップを見たような気がしたんです。

指導医:ギャップって?

:ギャップというのはですね、自分でもよく分からないのですが...。子供が苦しんでいるなら、親はなんとかしたいと気にかけるのが普通じゃないかと思ったんです。でも、彼女にはそれが見られなかった。だから良い印象を持たなかったと思うんです。

指導医:なるほど。彼女からはその素振りが見られなかった。でも、なぜそれが引っかかったんだろう。

:なぜ...。なぜって...。先生、それはそうですよ!子供をケアするのは親としての当たり前の義務じゃないですか。その義務を果たせていないんだったらそりゃ引っかかりますよ。

指導医:なるほどね。よく分かるよ。もっともだと思う。でも、なぜそれを義務と思うんだい?

:それは義務ですよ。当たり前です。普通、親ってそういうもんじゃないですか。

指導医:普通って?

:いや、ですから、私の周りの親とか、私自身の親は私が物心ついたときから常に子供をケアしてくれました。それが普通でした。

指導医:なるほど、自分が慣れ親しんできた環境がそうだから、そう思うってことだね?

:そう言えると思います。

指導医:でも、そこで言う普通というのは、必ずしもみんなが同じようにしないといけない、ということなのだろうか。これから外れたら絶対的に駄目なのかな?

:うぅ。いや、別に。全くそういったつもりではなく...。ただ、私が感じたことや考えていることを正直に話しているだけで...。

指導医:いや、正直に話してくれることは素晴らしい。ここはそういった場所だからね。それに僕は責めているわけじゃない。ただ、ここで言う普通というのは、実は一部の環境での普通ということになるんじゃないかな?つまり、それは個人の価値観に基づいたことだと言えるんじゃないだろうか。

:個人の価値観...。私のような考えを持つ人は少なくないと思うんですけど、確かに、すべての人が持つ考えではないかもしれません。

指導医:僕たちGPはあらゆる人を診るわけであって、常に多数派の考えや価値観を持った人と接するとは限らない。そういったいわゆる一般的な価値観だけを持って対応していると、時には知らぬうちに自分の価値観を人に押し付けていたり、自分にとっての常識を物差しに他者を評価してしまう、要するにジャッジメンタルな姿勢になっている、というケースがどうしても出てきてしまう。今回はそういったことが起きたんじゃないかな?

澤:自分の価値観を他者に押し付けるジャッジメンタルな姿勢...。そういうのは僕が意識して避けようとしてきたものです。ガーン!!

指導医:かかりつけ医として誰でも診るということは、様々な価値観を持った人を診るということ。その中で患者さんに寄り添うためには、ジャッジメンタルな姿勢は避けたいし、無意識のうちにそうなってしまっていることを自覚することが重要になる。僕はなにも自分の価値観を変えろと言っているわけではないんだ。人間なんだから自分の考えを持つのは当然。ただ、その自分の価値観というのが、自分の感情や姿勢、患者さんとのコミュニケーションに与える影響を自覚した方がいい、ということなんだ。これはなかなか気づくのが難しいことだけど、自覚することによって、もしかしたらその母親の反応も変わるかもしれないね。でも、もう気づいたんだから大丈夫。きっとさらに良い対応ができると思うよ。

その後、私はその男の子を母親と一緒にもう一度診察する機会がありました。彼女の態度は変わらずでしたが、不思議と前回のようなネガティブな感情は湧いてきませんでした。「彼女は一体何に悩んでいるんだろう」「私にできることはなんだろう」という姿勢を持って比較的落ち着いた気持ちで話を聞くことできました。気のせいか、彼女は前よりも多くを喋ってくれて、以前感じたようなコミュニケーションの取りにくさというものは感じませんでした。話を聞くと、母子家庭で毎日忙しい中、自分の体調やメンタル、新しいパートナーとの関係にも悩みを抱えている、ということでした。それから彼女は彼女自身の問題でも私を受診してくれるようになりました。

この経験は、自分を客観視し、知らず知らずのうちに自分の個人的な価値観を彼女に押し付けていた自分に気づくことで、より良いコミュニケーションが可能になったと感じた貴重なものでした。

これを機に、私は自分が持つ個人的な価値観以外に、医療や健康に対する医師としての職業的な考え方に対しても、より自覚的であることに務めました。なぜなら、例えば「命を救う」「健康に貢献する」という医師としての姿勢や価値観は、必ずしもすべての患者の想いに一致するわけではないですし、看取りや終末期医療など大切なお話をする際には、自分の内面が無意識に自分のコミュニケーションに影響し、それが知らず知らずのうちに患者の意思決定を操作しかねないからです。

また、ついつい問題解決を目的としてしまう私個人の特性や、医学部や病院研修で学んだ科学的な合理性という職業的な視点など、患者を助けたいと思ってしていることが逆に患者の話を聞くことを妨げてしまうこともあります。これらは大切な気づきでした。

ちなみに、今回例で挙げたような相談は、医師にとって普通はしにくいというのがあります。なかなか自分の内なる感情や個人的なことは、職場で話し合うことはためらわれ、話しづらいからです。

特に私が病院で働いていた時によく経験した、症例検討会のような、一人の指導医が複数の研修医を対象に議論を進めていく形、学校での授業のようなものをイメージしていただければいいと思うのですが、そういったところでは周りの目が気になり、話しづらいというのがありました。

対して、診療所では基本、指導医に研修医が一対一で継続的につく徒弟制度を伝統としていて、人間・信頼関係がより生まれやすくなっています。また、どれだけ知っているかよりも、何を知らないかを知ることを重要視する文化があり、日々の診療で感じた自分の弱みを周りを気にすることなくよりオープンに対話しやすい環境があります。

こうした教育方法は専門的には「形成的評価」と呼ばれ、研修医の学習の進歩状況を把握し、フィードバックを行うことでさらなる学びを促進していくものです。

イギリスのGP専門研修では、筆記試験や臨床試験などのような学習の到達度を測る統括的評価の他にも、この形成的評価を専門医試験の一部として組み込んでいます。ですので、今回例に挙げたような指導医との振り返りによる気づきは、偶然の産物ではなく、GP専門教育における系統的な学びの一つだったのです。

人に寄り添う、ということは、人それぞれの多様な考え方に寄り添うということです。そのためには医療者が自分自身を知ることが欠かせません。

以上になります。

次回は、セルフケアなど個人主体の医療サービスについてお話ししていきます。

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