よみがえった東京、特別な感慨あった1964五輪~元NHK・杉山茂さんの回想 - 読売新聞

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 杉山茂さん(84)は、元NHKのスポーツ中継のディレクター、プロデューサーとして、1960年(昭和35年)のローマ五輪から98年(平成10年)の長野冬季五輪まで一貫してスポーツ番組の制作に携わってきました。59年(昭和34年)にNHKに入局後、すぐにローマ五輪のテレビ放送の補助でスポーツディレクターの妙味を知り、64年(昭和39年)の東京五輪では第一線の制作者として競技の現場に臨み、五輪の熱気を肌で知る貴重な世代です。杉山さんに当時を回想してもらうとともに、今夏の東京五輪への期待を語ってもらいました。

若き日を振り返る杉山さん

早慶レガッタ生中継に感動、志望を通信社からテレビに

 慶応大学文学部に在学中は、ハンドボールの選手として体育会で活躍していた杉山さん。学生時代、当初は通信社の記者になるのが夢でした。テレビ放送が日本で始まったのは、1953年(昭和28年)で、東京・四谷の杉山さんの家にもテレビはありませんでした。その威力を知ったのは、毎春恒例の隅田川の早慶レガッタでした。

 「街頭テレビで生中継をたまたま見たんですよ。そうしたら、慶応のボートが横波を受けたか何かして、アクシデントで沈没したんですね。それを見て、テレビってすごいな、と。通信社で文章の力で伝える方法もあるけど、生々しさではテレビが勝っている。その時にテレビ局に志望を変えたんです」と話します。

 この頃、力道山らが活躍していたプロレス中継も見ていて、試合の合間に電気掃除機のコマーシャルを生でやっていて、その後、電器店で瞬く間に掃除機が売れていく光景も目の当たりにするなど、テレビのパワーに圧倒されました。

最初は生放送だけ、革命的なビデオテープの発明

 NHKに入局し、最初に配属されたのは名古屋放送局でした。杉山さんは、プロ野球の中日ドラゴンズの試合中継、大相撲の年1回の名古屋場所中継などの経験を通して、ディレクター修業を始めました。当時はラジオ全盛時代。新聞を広げると、テレビ欄よりラジオ欄の方がはるかにスペースの大きい時代でした。

 入局2年目、ローマ五輪が開かれます。そこで杉山さんは、ビデオテープに出合いました。当時のテレビ番組は、スポーツのみならず、料理番組から歌番組、果てはドラマまですべて生放送でしたから、テレビの制作現場を一変する「革命的な発明」でした。

 「50年代後半にアメリカで発明されたビデオテープ。何がすごいかと言うと、生中継ができなくても、スポーツをテープで収録し、時間を置いて再生できることです」

 ローマ五輪に手伝いで動員された杉山さんは、ビデオテープの威力に圧倒されました。「ローマで収録したテープを空輸して、2日遅れで放送したんです。最初に伝えるのはラジオで、次いで新聞、その後にテレビの順番でしたが、それまで日本人になじみの薄かった体操競技や自転車競技を僕はその時、初めてビデオテープで見ました。撮影の方法をはじめ、すごく勉強になりましたね」と振り返ります。

多くを学んだローマ五輪のビデオ映像

 杉山さんの肩書である「スポーツディレクター」というのは、読者の皆さんには今ひとつ聞き慣れない呼び方かもしれません。杉山さんに仕事の内容を説明していただきました。

 「僕の駆け出し時代はスポーツの中継現場にカメラを3台、配置しました。野球だったら、投手、打者、そして打球の行方をそれぞれのカメラが追います。相撲でしたら、東側の力士、西側の力士、中央と映します。ディレクターとして、それぞれのカメラが映す映像のどれを使うかを機械でスイッチング(調整)するのが主な役目です。それを演出と言います。投手を選んだり、西側の力士を選んだり、全国の視聴者が見るものを選択します。巨人の王選手より投手を選ぶといった妙味が、ディレクターにはあるんです」

 名古屋でそうした修業を積んだ杉山さんにとって、ローマ五輪の国際映像を見ることは、すごく勉強になったといいます。「スポーツの何を見せたらいいか、という理屈が自分の中にできてきました。ローマ五輪のテープが僕を形作ってくれた一つだったことに間違いはありません」と話します。「ローマの映像は、当時のNHKの中継では思いつかない角度から撮ったり、カメラの位置を選んだりしていました。それらを見ているうちに、だんだん楽しさが分かってきて、スポーツから抜けられなくなりました」と笑います。

 その時から、4年後の東京五輪の要員になるのだと言われており、モチベーションが増してきたそうです。

新幹線開通を伝える記事(64年10月1日夕刊)

東京の街の変貌に戸惑う

 62年(昭和37年)、杉山さんは東京五輪のホッケー担当に命じられます。当時の日本人にはほとんどなじみのなかったホッケー競技。杉山さんは幾度も名古屋から東京に出張し、担当カメラマンやアナウンサーらといっしょにルールを日本のホッケー協会の人に教えてもらい、どういう場所から撮影したらいいかという打ち合わせを頻繁に行うようになります。

 名古屋から東京に出張するたびに、杉山さんは東京の街の変化の激しさに戸惑いました。生まれも育ちも東京だった杉山さんにとって、その変貌は驚きの一語に尽きたそうです。「一番びっくりしたのは、日本橋の真上に首都高速道路を通したことですよ。五輪はそんなことまでしちゃうのか、と思いました。日本橋って江戸東京のシンボルですよ。五輪って何でもありなんだな、と感じましたね。首都の表情が変わっていきました。五輪が始まる直前には東京-新大阪間の東海道新幹線が開通します。名古屋から東京への出張が、在来線から新幹線に変わりました。新幹線の開通の日の中継にも僕は参加しているんです」

五輪前夜祭、電車は浴衣姿の婦人でいっぱい

前夜祭の様子を伝える紙面(64年10月10日朝刊)

 「僕は行けなかったんですが、開会式前日に後楽園球場で前夜祭があって、ものすごい数の東京の婦人会の方が、三波春夫の『東京五輪音頭』で踊ったんです。今、日本人が一つの歌に夢中になることなんてないじゃないですか。電車で浴衣姿のものすごい数のご婦人を見て驚きましたね。戦前生まれの僕からしたら、すごい平和な世の中になったもんだ、という感慨が湧きましたよ」と杉山さん。

 64年の東京五輪は、今回の東京五輪とは違う感慨を多くの日本人にもたらした、と杉山さんは考えています。つまり、40年の東京五輪開催が一度は決まりながら、戦争で中止になったという歴史が当時としては間近にあり、空襲で焦土となった東京がここまでよみがえり、世界中から人が集まる、というある種の思いの強さが、国民の間にあったのではないか、と話します。「戦地に赴いた戦前派、僕を含めて戦争中に幼少期を過ごした人間にとって、東京五輪というのは、やはり特別なものだったのです」

あまり会場は埋まっていなかった

 そして、東京五輪が始まると、杉山さんはホッケー中継の最前線のスタッフとして連日、東京・駒沢の競技場に通い詰めました。「今となってはあえて口に出して言う人はいませんが、土日以外、あまり会場は埋まっていませんでした。土日や日本戦は別ですけど、ホッケー競技の仕事が終わってから、ボクシングやバスケットボールの会場に行っても、満員っていうのはあまりなかったね」と内情を明かします。「小学生の団体のお客さんが多かったかな。今で言う観客動員ですね。基本的なルールも先生から教えてもらっていなかったらしくて、僕の方がびっくりしました。せめて、ルールぐらい教えてやれよって思いました」

 ホッケー中継では、決勝のインド対パキスタン戦の印象が鮮烈だったそうです。インドがパキスタンを破った瞬間、観客席のインド人が喜びを爆発させる場面を見て、スポーツが国境を超えて、人々を熱くさせる威力というのを改めて感じたといいます。

開催地が東京に決まった日の紙面(2013年9月9日夕刊)。この感動を忘れずに本番を迎えられるか

スポーツ全般に関心高まる

 その後、98年の長野五輪に至るまで五輪中継の第一線で活躍した杉山さんは、この半世紀近くで、プロアマを問わず日本人のスポーツに対する興味関心の高まりを肌で感じています。「64年当時は、開会式こそチケットが取れないほどの人気でしたが、ほかの競技であれば、プロ野球の巨人・阪神戦の人気にかなわなかったんじゃないでしょうか。日本人にとって、当時の人気スポーツはなんと言っても野球で、サッカーなんて全日本選手権ぐらいしか、それも小さいスペースで新聞に載るのが関の山でしたから」と回顧します。

 それが、今や2002年(平成14年)サッカーのW杯日韓大会、記憶に新しい昨年のラグビーW杯日本大会をはじめ、あらゆるスポーツの選手の活躍に脚光があたり、新聞やテレビなどマスメディアでも大きな扱いで多様な角度から伝えるように変化し、観客の熱狂ぶりが社会現象となりました。「スポーツがほんとうの意味で身近になったんじゃないでしょうか。一方で一時のお祭り騒ぎというか、イベント化しているような気もしますけどね。また、今回の東京五輪でも官主導型の運営という点には不満も感じますが、きっとにぎやかで、興奮でき、楽しい五輪になると思いますし、そうなってほしいとも思います」と杉山さん。

 杉山さんは現在、スポーツ番組を制作する会社の顧問として若い世代を指導する立場にあります。彼ら後進が、東京五輪という人生で二度と巡ってくるかどうかという大舞台の中継の現場を踏み、優秀なスポーツディレクターに成長してほしい、という思いを抱いています。「会社のテレビで、社員の映した中継をのんびり見物できたらいいな」と考えているそうです。

(クロスメディア部 塩崎淳一郎)

  杉山 茂(すぎやま・しげる) 1936年1月、東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、1959年にNHK入局。名古屋放送局勤務を経て、数多くのスポーツ中継の制作の陣頭に立つ。五輪には64年の東京五輪から現場に携わり、98年の長野冬季五輪まで12回に及ぶ大ベテラン。主な著作に「テレビスポーツ50年」「スポーツは誰のためのものか」などがある。現在、番組制作会社エキスプレススポーツ(東京・渋谷)のエグゼクティブプロデューサー。

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