開成中学、海城中学など超難関校の入試に出題された小説『君たちは今が世界』とはどんな物語なのか? 特別試し読み1 | 君たちは今が世界 | 「試し読み(本・小説)」 - カドブン

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開成中学校、海城中学、サレジオ学院中学校など、
2020年度の超名門校の入試問題に続々取り上げられた小説、『君たちは今が世界』。
「国語の入試問題は、学校の先生が入学する生徒に読んでほしい物語」とも言われます。
著者の朝比奈あすかさんが、小学校6年生の教室を舞台に
4人の主人公の目線で描き出す学校=世界とはどんな場所なのでしょう?
今回は特別に、各章の冒頭部分を試し読みいただけます。

 ◆ ◆ ◆

第一章
みんなといたいみんな

 その朝、小学六年生のつじふみは、学校に着くなり、昇降口で待ち構えていたいそさとしに傘を取られた。
「シャワー浴びようぜ」
 敏の言葉と同時に、強い雨粒がいっせいに文也の頭に降り注ぐ。
「シャワー! シャワー!」
 いやだなと思ったけれど、楽しそうな利久雄と敏の様子を見ていたら、心の中に炭酸みたいな泡がぷくぷくはじけ出すようで、いつしか文也はふたりに挟まれて、
「うおー、天の恵みィィ!」
 両手を上げて叫んでいるのだった。
「口、開けてみー、痛いから!」
「いってぇ!」
「まさに、シャワー!」
 いやだなと思ったことを、もう忘れている。開けた口の中、ぺちゃぺちゃと舌の上で雨粒が弾け、なまあたたかい雨は、あっという間に校庭を沼地みたいに変えてゆく。
「やっだ……」
「ほんと、男子ってバカ」
 屋根の下で傘を畳みながら、同じ三組の女子たちが笑いを含んだ目でにらみつけてくる。それを見て、
「雨が痛い! 痛い! いて──い!」
 文也はいっそう大きな声を出した。
 こういう感じが、文也は好きだ。こういう感じ。注目を集めて、血が沸騰する感じ。
 騒ぎながら、三人そろって箱へ向かい、靴を履き替える。文也がびしょびしょの靴下を脱いで絞ったら、それを見た敏が手をたたいて笑う。登校時間の昇降口は、全学年の小学生でごった返していて、びしょぬれで大笑いしている三人を、低学年の男児たちがうらやましそうに、声をかけてもらいたそうに、眺めている。
「やべえ、上履き、ぐちゃぐちゃだー」
 そう言う敏の前髪からしずくがぱらぱらと落ち、
「よっ、水もしたたるエロ男!」
 利久雄がからかう。周りにいた下級生の男子たちがそれを聞いてげらげら笑う。先週開かれたばかりの運動会で応援団長をやった利久雄は、学校の有名人だ。
ふみちんヤベエ!」
 その利久雄が、びしょぬれの文也を見て、おかしそうに笑うから、文也は得意だ。中心人物になった気分。でも、はしゃぎの時間は長く続きはしない。利久雄と敏がレインコートを着ていたことに気づく。さっきまで一緒に雨シャワーを浴びていたのに、利久雄と敏は下駄箱でレインコートを脱いで、もうすっきりした顔でいる。顔や足は文也と同じくらいぬれているから、一見同じような状態なのだけど、よく見ると二人のTシャツは乾いていて、ズボンもそれほどぬれていない。シャツからもズボンからも水を滴らせているのは、文也ひとりだ。
 階段をのぼり、六年三組の教室に入ると、
「うっわー、あんたたち、ずぶぬれじゃん」
 ひときわ大きな声を出して三人に近づいてきたのはたからほのかだった。
「超ぬれてんじゃん。やっばー。台風接近中だから気をつけて登校するようにって、緊急メール来てたのに。知らなかったの」
 そう言いながら、ほのかはハンカチを出してきて、利久雄をこうとする。利久雄がそのハンカチをさりげなく手で払った。
「やだー、拭きなよ。風邪ひくよ」
 ほのかが言うのを、利久雄は完全に無視する。
 ほのかとは、小学校低学年の頃まではいっしょに遊ぶこともあったけど、最近はあんまり話しかけてほしくない。女子は女子で固まっているのがほとんどで、五年生くらいから、休み時間に男女混じって遊ぶことはなくなってきた。それなのにほのかは、休み時間も文也たち三人が遊んでいると、いつの間にかそこに混じっていたりする。ほのかが入ると遊びのテンポがずれる気がする。利久雄の態度がとげとげしくなるからかもしれない。
 チャイムが鳴って、ニクタ先生が教室に入ってきた。
 一部の女子が目配せし合って、こそこそ笑う。
 ニクタ先生を初めて見た時、文也が思ったのは、おばあちゃんに似ているということだった。どこがどう似ていると言われると難しいのだが、パーマのかかった短い髪、体のかたち、眼鏡、全体的にほんわかと丸い雰囲気がして、似ているように思った。おばあちゃんが生きていた頃、文也はいっしょに電車を見に行った。線路の前で、電車が何台も通り過ぎた。おばあちゃんはずっと一緒にいてくれた。
 その日、家に帰って、新しい担任がおばあちゃんに似ていると文也が言ったら、「うっそう」と大きな声で驚かれた。
「ねえ、ねえ、じゃあ文ちゃん。いく先生とママ、どっちが若いと思う?」
 お母さんにかれた。
「そりゃママでしょ」
「いやだあ!」
 お母さんが破顔した。
「幾田先生て、若いのよう。まだ二十代なのよう」
 やりとりを聞いていた父親のよしふみが、
「文也もなかなかやるなあ」
 とからかった。
 文也はどうしてお母さんが喜んでいるのか分からなかった。それでも、先生のほうがお母さんより若いということには少しびっくりした。お母さんは今年四十歳だ。誕生日の朝、まっさきに「おめでとう」と言ったら、もう四十だからめでたくもなんともないわとぶっきらぼうに返された。
「文ちゃんも、せっかく初めて女の先生に当たったんだから、もっとかわいい先生なら良かったのにね」
 いつもより軽やかな声でお母さんが言った。それで文也は、ニクタ先生が、若いけれどかわいくないのだと知った。
 平常授業が始まってからも、ニクタ先生の印象は変わらなかった。お母さんより若いけど、白髪があるし、頰がふっくらしていてしやべり方がのんびりだからか、若い感じがしない。
 いつからか、まえむらめぐらが幾田先生のことを「ニクタ」と呼ぶようになった。面白がって、文也も真似をした。敏や利久雄も真似をした。今、六年三組ではほとんどの子がニクタ先生を「ニクタ」と呼んでいる。「ニクータ」とか「ニクタロー」などと、アレンジして呼ぶ子もいる。もちろん、先生の前ではそう呼ばない。クラスみんなの秘密だ。
 文也は以前家で、お母さんとの会話の中でスルッと、
「そしたらニクタがさあ」
 と言ってしまったことがある。お母さんが、
「何それ。文ちゃんたち、先生のことニクタって呼んでるの?」
 と言った。やべえ、怒られる、と思って、
「おれは言わないけど、女子がそういうふうに言ってた」
 とごまかしたら、
「せめて、〝先生〟って付けなさいよ。ニクタ先生って言えば、イクタ先生って聞こえるから」
 と言われた。
 怒らないのか、と意外に思った。
「でも、女の子たち、すごいわね。ニクタ先生って面白いわね。よく考えた」
 文也はお母さんの笑顔を見て、ほっとした。怒られるようなことじゃないんだ。
 それから先生を呼ぶ時はいつも「ニクタ先生」と呼んでいる。そのやり方を敏や利久雄にも伝授した。

 朝の会を始めようとして教壇に立ったニクタ先生の顔がこわるのを文也は見た。
「誰ですか……これ」
 ニクタ先生の声がふるえた。
 教室はしんとなった。文也はチャイムが鳴るぎりぎりまで利久雄たちと話していたから、一体なんのことか分からなかったので、
「なんですかー?」
 と言って、身を乗り出した。すると、他の皆も同じようにぞくぞくと身を乗り出して、
「何何」
 と、口々に言い、立ち上がる者まで出てくる。文也も負けずに立ち上がる。するとニクタ先生は驚いたように、
「尾辻さん、ずぶぬれじゃないの。タオルは持ってきてないの」
 と言った。

「あ、平気っす。雨にぬれたんです。平気平気」
 文也がおどけると、教室の皆が笑った。明るい雰囲気になった気がして、文也の心にまたはしゃぎの泡がぷくぷくと湧く。
「平気じゃないでしょう。風邪、ひいちゃうわよ。誰か、タオルを貸してあげて」
 おろおろとニクタ先生が呼びかけた。ほのかが手をあげる。
「ハンカチ持ってます」
「ありがとう、宝田さん、貸してあげて」
 先生は言ったけど、文也はさっき利久雄がほのかの手を払いのけたことを思い出して、なぜか、同じようにしたくなった。それで、
「いいです」
 と突っぱねた。
 先生は、文也が遠慮したと思ったのか、
「そうね。ハンカチじゃあ、間に合わないぬれ方ね。尾辻さん、家庭科室に行ってタオルを借りてきていいわ。それから……誰なの、これを置いたのは」
 ニクタ先生はふたたび教卓の上の何かについて言った。すでにその何かは、ニクタ先生の手でティッシュにくるまれ、まるめられてしまっていた。手のひらにのりそうなくらいの、ごみだったみたいだ。なんなんだ、あれ。ごみくらいでニクタ先生がこんなに困惑している理由が、文也には分からなかった。そんなことより、急に寒気を感じた。くちゅん、くちゅん、と二回連続でくしゃみがでた。
「尾辻さん、ほら、風邪ひいちゃうわよ。はやく家庭科室に、タオルをとりに行ってらっしゃい」
 教卓の上の物のことと文也の様子とで、明らかにニクタ先生は動揺し、大人で、先生なのに、ものすごく取り乱しているのが分かり、女子を中心に冷ややかな笑いが広がった。そこにつけ込むように、
「僕もぬれてるので、いっしょに行っていいですかー?」
 そう言ったのは利久雄だ。
「いやだ、小磯さんもぬれてるじゃないですか」
 利久雄のぬれた髪を見て、先生が困ったように言った。
「僕も行っていいですかー?」
 敏も手をあげてくれた。
 ひとりじゃなくて、友達ふたりと家庭科室に行けそうで文也はほっとした。昔から自分ひとりで目立つ行動をするのが苦手だ。
 隣の席の前田が、
「ニクタ、パニック」
 と、小声で言った。
「だね」
 文也は話を合わせて笑ってみたが、本当は前田のことが苦手だ。低学年の頃はたまに一緒に遊んだが、そのころから苦手だった。遊びの中で、前田は文也に何かと命令ばかりしてきたからだ。六年生になった今も、グループ作業や話し合いの課題を出されると、偉そうな態度をとってくるし、面倒なことを押しつけてくる。
「ねえ、ねえ、あれ何かわかる?」
 前田が小声で文也に訊いた。教卓の上に置かれた「ごみ」のことだ。
「ナプキンだよ、ナプキン」
「ナプキン?」
 文也がきょとんとしていると、
「尾辻、純粋かよ。受ける」
 前田が笑い、前の席の見村に何か耳打ちした。ふたりはクックとちいさな声で笑う。文也は慌てて、「ああ、あれか」とわざとらしくつぶやいてみるが、いっそう笑われる。ナプキンっていったら、弁当箱を包む布ではないのか。なぜニクタ先生があんなに動揺するのか、なぜ前田たちが面白がるのか、実際のところ文也には分からない。前田が、
「赤いマジックで塗っただけだから、全然汚くないんだけどねー」
 と意味不明なことを言ってくるから、ますます混乱する。
「先生、先生、そこに何が置いてあったんですかー?」
 前田の子分の見村が大きな声で訊いた。
「何がって……」
 ニクタ先生の顔が岩のように固く、赤くなる。それを見て、一部の女子がくすくす笑っている。
「なんで言えないんですかあ?」
 前田がはやし立てる。ニクタ先生は黙ったままティッシュでまるめたそれを、さもなんでもないかのようにぽいとごみ箱に捨ててから、
「授業にします。はやく教科書出してください。尾辻さんたちは家庭科室でタオルを借りてきて。すぐ戻ってきてくださいね」
 と言った。とたんに利久雄が、
「はーい」
 と大声で言って椅子をおおきく後ろに引いて立ち上がった。敏も文也もすぐに立って、三人で競い合うように廊下に出た。小走りで階段へ向かっていると、一組の教室の戸が開いて、一昨年担任だったやまがた先生が顔を出した。
「何やってんだあ?」
 と訊かれ、文也は山形先生の視界から少しでも逃れようと、利久雄の後ろに隠れるように身をかがめた。
「僕たち雨に激しくぬれてしまったので、幾田先生から家庭科室に行って服とか拭いてくるようにって言われたんです」
 利久雄は相手を見て、言い方を変えることができる。
「家庭科室?」
 山形先生がまゆをひそめた。それから文也の様子に気づき、
「なんだ。尾辻、びしょぬれじゃないか」
 と、叱るような声で言う。
「特に、尾辻くんがぬれてしまって」
「それで家庭科室でタオル借りるようにって言われたんです」
「僕たちも付き添うようにって」
 機転のきく利久雄と敏が口々に説明した。一組の教室の中が少しずつざわついてきている気配が伝わってくる。戸の隙間から何人もがこちらを見ている。
「にしてもぬれ過ぎだな、尾辻。早く拭けよ」
 山形先生は文也だけが悪いように言う。
 一組から離れ、今度は目立たぬよう慎重な早歩きで廊下を進んだ。
「文ちん、山形先生のこと、嫌いだろ」
 利久雄がいきなり図星を指してきた。
「ん……別に……」
「おれ、嫌い。担任になったことないけど、なんかアイツむかつく」
 敏が言ってくれたので、文也はうれしくなる。それでようやく、
「おれも、あいつむかつく」
 と、自分の言葉を言える。
 山形先生の受け持ちだった三、四年生の時、文也は学校が嫌いだった。きっかけは色々ありすぎて、一つに絞れないが、特に覚えているのは、たけいちようのあだ名のことだ。文也ひとりが悪いかのように、皆の前でこてんぱんに叱られたのだ。
 武市にあだ名をつけたのは文也ではなかった。誰がつけたのかなんて分からない、沢山の子が、いつの間にか陰で彼をそう呼んでいた。たまたま文也が言っているのが聞かれてしまい、山形先生にキレられた。
 文也は、武市のことを、どちらかというと好きなくらいだった。そのあだ名が武市を「おとしめる」ものだなんて、知らなかった。みんなが呼ぶから呼んでしまっただけだ。武市を傷つけるあだ名なら、もう絶対に言わない。言いたくない。山形先生は武市に、文也に対して怒っていいんだと言ったが、武市は怒らなかった。山形先生に叱られて泣いた文也を、心配そうに見ていた。
 今になって思い出してもむしゃくしゃし、悲しくなるのは、あだ名のことじゃなくて、山形先生だ。皆の前で文也を叱ったのが、叱りやすいから、分かりやすいからで、皆に、それが悪いあだ名だということを思い知らせて、止めさせるために、うまく使われたと分かるからだ。
 山形先生が、そういう「使い方」をしたせいで、自分が皆からそういうやつだという目で見られるようになったことを文也は知っている。いいことをしても、どうせ認めてもらえないと思うようになった。文也はいつしか山形先生の教室で、縮こまるようになった。
 組替えがあって、ニクタ先生が担任になって、ほっとした。ニクタ先生は、山形先生みたいに、人を決めつけなかったから。他の子に対するのと同じように、文也に話しかけるし、武市にだって態度を変えない。
 でも、何より、このクラスになって、文也は自分が真ん中にいる気分を味わえている。利久雄や敏とつるむようになったからだ。
 山形先生のクラスの時、文也はいつも、他の子たちの添え物だった。こんなふうに仲間たちと盛り上がったり、皆の注目を集めるような騒ぎ方をしたりなんてことは、一度もなかった。
 利久雄や敏と一緒にいると、時々、いやだな、と思うこともある。
 だけど、その気持ちよりもずっと、満足感のほうが大きい。みんなからも認められているような気がする。

▷次回は「第二章 こんなものは、全部通り過ぎる」をお届けします。



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February 06, 2020 at 10:04AM
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